今日は朝7時からボランティアに行ってきました。
日曜日は、西欧系のボランティアがお休みをとることが多く、また、マ-シーもベテランがお休みするので、ばたばたと動き回っています。
顔なじみのボランティアやブラザー・シスターに、「明日が最終日で、明後日に帰ります」と、話をしていました。
患者さんにも、つたないベンガル語で「明日が最後」と言うと、シャンティという45番のベッドに寝ているおばあちゃんが、心なしか涙を流していました。(もしかすると、目やにかも)
ここカリガートでは、私がいなくなるからといって、何かが変わるわけでもなく、毎日が普通に流れていきます。
患者さんと話すことも、マッサージすることも、洗濯することも、私がいなくても、誰かがやってくれるだろうし、私がいなくても、悲しいけれど、何とかなっていきます。
そして、世界もまた、誰か一人が死んでも、何事もないように毎日が動いていきます。
■これもすべて同じ一日■
今日のボランティアは、最後の2日間のうちの1日でした。
だからといって、カリガートでの生活が変わるわけでもなく、患者さんにごはんを配り、食器を洗い、洗濯をして、爪を切りました。
日常と、非日常。
日本にいることを思うと、今、ここにいるということは、非日常の部類に入るのかもしれません。
しかし、ここでの生活は、たしかに日常となり、毎日を過ごしていました。
排気ガスで曇っている空気や、揺れすぎて足の届かないベンチに座らなければならないバス、水しか出ないシャワー、裸足で走り回っている子ども、物乞いしている人々。
そのすべてがここでの日常であり、そういう毎日の中にいました。
そういう生活の中で、明日しか、もうボランティアできないところに来てしまったということは、今の日常の中では、少なからず、非日常にいるのです。
けれども、だからといって、その一日が今までの生活の中で切り離され、特別な一日になったかと思うかといえば、そうではなく、これも、同じ一日でした。
明日、カリガートで何を思うのだろう・・・
まったく予想できず、たのしみなことです。
■持って帰りたい■
カリガートでボランティアをしていた中で、是非とも、日本に連れてかえりたいという患者さんやシスターができてしまいました。
そのうちの一人が、男性の患者さんで38番のベッドに寝ているホネイルです。
そもそも、同居人が彼に強い関心を持ち出したことが始まりで、私も気になるようになったのですが、眼がとても悪く、斜視で、横に目を向けないと見えないという状態の人です。
よく、空中で手招きをしています。
当初は、彼の眼がまったく見えないとおもっていたので、そのために、そうしているのかと思ったほどでしたが、眼球がくるくると動くので、そうではなかったようです。
彼は「ほっ、ほっ、ほっ」と言いながら、ボランティアに手を引かれてならば歩け、また静止もできるようですが、手を引かれないと、歩くことが困難なようです。
座っていると、多くの場合に、よだれを垂らし、最近では、そのよだれを毛布でふいています。
昨日は、彼の隣の患者さんとヨーグルト(ドイ、と言います)の話をしていると、彼もヨーグルトが食べたくなったのか、宙に手を伸ばして、ヨーグルトを求めていました。
何がどう、というのは、ないのですが、とてもかわいらしくて、ついつい隣に座りたくなってしまうのです。
今日はブラザーに、「ホネイルを日本に持ってかえってもいいよ」と言われ、「じゃあ、スーツケースに入れていくよ」と答えてしまいました。
おそらく、検疫でひっかかるだろうけれど、可能であれば、ぜひとも連れてかえりたい患者さんの一人です。
◇■今日の患者数■◇
男:女=51:54+2:3
今日は男性2人、女性3人の新しい患者さんが運ばれてきました。
ベッドの数が足りなくなってしまい、シスターが誰を家に帰らせようか、動き回っていました。
結果的に、女性の方は一人が病院へ、二人が帰ることになりました。
そのうちの一人は、マヌーという子で、「カリガートの女王様」と心密かに呼んでいる子でした。
彼女は結核で、もう7ヵ月もカリガートにいます。
もちろん、結核は治っていないのですが、ハウラー駅に帰るようです。
もう一人は、頭に少し傷が在り、その周辺に毛の生えていない、とてもか細く、小さい子で、糖尿病の人です。
カリガートにいる間は、毎朝、朝食前にインシュリンを注射し、悪化していくのを防いでいます。
まだ20歳らしいのですが、夫がいるらしく、彼女もまた、シアルダー駅に帰るようです。