コノヨノフシギ


インドから

 このカテゴリーでアップされる日記は、私が昨年4月から8月にインド・カルカッタに滞在した時に「ニュースメール」という形で配信していたものです。
 全部で100通を超える量になり、整理したいとブログにアップしました。

 基本的に、文面は当時のままです(恥ずかしい間違いも)。
 連絡先など、個人情報などを記載してある部分は削除しました。
 読みやすくするため、メールで書いていた故の頻繁な改行は読点までつなげる形をとり、一部句点を足しました。

 日付は、ニュースメールの配信日時(日本時間)に設定しました。
 ちなみに、インドとの時差は3時間半です。
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# by kawahara-chiharu | 2005-10-17 09:57 | ■インド(2004年4月~8月)


インドから(2004年8月30日 その111)

 今朝は最後だからと思って、朝7時前にマザー・ハウスに行ってきました。
 顔なじみのボランティア、顔なじみのシスターやノビス、今日が初めてでワン・デイ・パスをもらいにならんでいる人、今日だけ7時半からある日本人用のミサに出ようと待っている人がいました。
 とてもにぎやかで、それでいて、流動性がある。
 その力によって、マザーの施設が動いているところもあるように感じます。
 都市があって、人がそこにいるのではなくて、人があってこその、都市であり、そうした成り立ちを、マザー・ハウスにも写すことができるのだと思います。

 初めてボランティアに入った日に、まさに使ったバスに乗って、カリガートを目指しました。
 8時15分頃に着くと、その後すぐにシスターやブラザーも到着して、一緒にお祈りの歌を歌いました。
 涙が出そうになった瞬間に、ぶつぶつとお祈りの言葉を言いはじめたので、少し救われて、いつも通りに洗濯しました。
 最後だから、と言っているのに、失禁した患者さんの服を取り替えようとすれば、その患者さんは怒りはじめてしまうし、洗濯場のマ-シーもご機嫌斜め気味。
 笑ってしまうくらいに、いつも通りの毎日がありました。


■ここからは、感想■

 今の段階で言えることは、実はあまりないように感じています。
 感じることはもちろんあるし、想うところももちろんあります。
 けれども、言葉にするには、まだまだ置き換えきることができないのです。

 泣かないだろうと思っていながら、「おつかれさま」「よく、がんばった」と言われると、なんでだか泣きたくなってしまって、泣いてしまったり、この患者さんの、もっともっと近くにいれればよかったのに・・・と後悔の念であったり。

 シスターに言われた

 「日本に帰ってから、ここで感じたこと、成長したことと向かい合えると思いますよ」

という言葉を信じて(半ば、期待して)、日本へと帰国したいと思います。


◇■今日の患者数■◇

 男:女=51:54

 ベッドが足りなくなっているため、シスター・ジョージナというカリガートで一番偉いシスターが、老人の多いプレム・ダンという施設や、精神障害を持った女性の施設であるシャンティ・ダンなど、マザー・ハウスの他の施設に患者さんを移すような話を進めていました。

 また、退院してはいないものの、他の患者さんに危害を加えるような患者さんはベッドの場所が変わっていました。


 ■ ■ ■

 明日は、8時15分の、DRUK(ロイヤル・ブータン航空)で、バンコクを目指します。
 現段階で、そこからの行き先は未定です。
 そして、2週間後までには日本に帰ろうと思っています。

 今まで、拙いメールでしたが、ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
 ひとまず、「インドから」はこれにて終了させていただきます。
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# by kawahara-chiharu | 2004-08-31 02:05 | ■インド(2004年4月~8月)


インドから(2004年8月29日 その110)

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 今日は朝7時からボランティアに行ってきました。
 日曜日は、西欧系のボランティアがお休みをとることが多く、また、マ-シーもベテランがお休みするので、ばたばたと動き回っています。
 顔なじみのボランティアやブラザー・シスターに、「明日が最終日で、明後日に帰ります」と、話をしていました。
 患者さんにも、つたないベンガル語で「明日が最後」と言うと、シャンティという45番のベッドに寝ているおばあちゃんが、心なしか涙を流していました。(もしかすると、目やにかも)

 ここカリガートでは、私がいなくなるからといって、何かが変わるわけでもなく、毎日が普通に流れていきます。
 患者さんと話すことも、マッサージすることも、洗濯することも、私がいなくても、誰かがやってくれるだろうし、私がいなくても、悲しいけれど、何とかなっていきます。
 そして、世界もまた、誰か一人が死んでも、何事もないように毎日が動いていきます。


■これもすべて同じ一日■

 今日のボランティアは、最後の2日間のうちの1日でした。
 だからといって、カリガートでの生活が変わるわけでもなく、患者さんにごはんを配り、食器を洗い、洗濯をして、爪を切りました。

 日常と、非日常。
 日本にいることを思うと、今、ここにいるということは、非日常の部類に入るのかもしれません。
 しかし、ここでの生活は、たしかに日常となり、毎日を過ごしていました。
 排気ガスで曇っている空気や、揺れすぎて足の届かないベンチに座らなければならないバス、水しか出ないシャワー、裸足で走り回っている子ども、物乞いしている人々。
 そのすべてがここでの日常であり、そういう毎日の中にいました。

 そういう生活の中で、明日しか、もうボランティアできないところに来てしまったということは、今の日常の中では、少なからず、非日常にいるのです。
 けれども、だからといって、その一日が今までの生活の中で切り離され、特別な一日になったかと思うかといえば、そうではなく、これも、同じ一日でした。

 明日、カリガートで何を思うのだろう・・・
 まったく予想できず、たのしみなことです。


■持って帰りたい■

 カリガートでボランティアをしていた中で、是非とも、日本に連れてかえりたいという患者さんやシスターができてしまいました。
 そのうちの一人が、男性の患者さんで38番のベッドに寝ているホネイルです。
 そもそも、同居人が彼に強い関心を持ち出したことが始まりで、私も気になるようになったのですが、眼がとても悪く、斜視で、横に目を向けないと見えないという状態の人です。
 よく、空中で手招きをしています。
 当初は、彼の眼がまったく見えないとおもっていたので、そのために、そうしているのかと思ったほどでしたが、眼球がくるくると動くので、そうではなかったようです。

 彼は「ほっ、ほっ、ほっ」と言いながら、ボランティアに手を引かれてならば歩け、また静止もできるようですが、手を引かれないと、歩くことが困難なようです。
 座っていると、多くの場合に、よだれを垂らし、最近では、そのよだれを毛布でふいています。
 昨日は、彼の隣の患者さんとヨーグルト(ドイ、と言います)の話をしていると、彼もヨーグルトが食べたくなったのか、宙に手を伸ばして、ヨーグルトを求めていました。

 何がどう、というのは、ないのですが、とてもかわいらしくて、ついつい隣に座りたくなってしまうのです。
 今日はブラザーに、「ホネイルを日本に持ってかえってもいいよ」と言われ、「じゃあ、スーツケースに入れていくよ」と答えてしまいました。
 おそらく、検疫でひっかかるだろうけれど、可能であれば、ぜひとも連れてかえりたい患者さんの一人です。


◇■今日の患者数■◇

 男:女=51:54+2:3

 今日は男性2人、女性3人の新しい患者さんが運ばれてきました。
 ベッドの数が足りなくなってしまい、シスターが誰を家に帰らせようか、動き回っていました。
 結果的に、女性の方は一人が病院へ、二人が帰ることになりました。
 そのうちの一人は、マヌーという子で、「カリガートの女王様」と心密かに呼んでいる子でした。
 彼女は結核で、もう7ヵ月もカリガートにいます。
 もちろん、結核は治っていないのですが、ハウラー駅に帰るようです。
 もう一人は、頭に少し傷が在り、その周辺に毛の生えていない、とてもか細く、小さい子で、糖尿病の人です。
 カリガートにいる間は、毎朝、朝食前にインシュリンを注射し、悪化していくのを防いでいます。
 まだ20歳らしいのですが、夫がいるらしく、彼女もまた、シアルダー駅に帰るようです。
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# by kawahara-chiharu | 2004-08-30 01:20 | ■インド(2004年4月~8月)


インドから(2004年8月27日 その109)

 今日は、最後のオリエンテーションに行ってきました。
 マザー・ハウスでは、毎週月・水・金の15時から新規ボランティアの登録と、活動をするにあたってのオリエンテーションがあります。


■個人か、ツアーか■

 ちょっと前から、「いつも団体の分を登録だけして帰る旅行会社のことを調べてほしい」ということを、シスターに頼まれていました。
 これは、つまり、日本から「マザー・ハウスでのボランティア○日間」という形で、日本の旅行会社がツアーを組み、お金をもらい、現地の会社に委託して、登録を彼らの代わりにしたことに対してのシスターからのお願いでした。

 「 彼らは、旅行会社にいくら払っているのか。 
   登録をすることを肩代わりしていることで、いくら取られているのか。
   Missionaries of Charitryという名前を広告に出して、
   それでビジネスをしているだけではないのか 」

 そして、今日、そうしたツアーで委託されたインド人の人が来て、登録だけ済んで帰ろうとしたところ、シスターが呼びとめ、話をしていました。
 そんなに問題視しているのであれば、登録のサインをしなければいいのに、と私は思っているのですが、そういうわけにも、今までできなかったようで、結局のところ、登録を許可し、パスを発行していたようです。

 毎週3回の新規ボランティア登録の時に、一番大切なのは、登録ではなく、そこで受ける施設の説明であり、ボランティアをする時の注意を知ることなのです。
 というのも、ここ1ヵ月の間で、カリガートでは、ボランティア用の食器を、患者用の食器洗い場で洗っていたり、混同したり、ベッドを拭いた布を、飲み水用のバケツで洗ってしまっていたりと、新しく来たボランティアの人の問題が多く見受けられるのです。

 ボランティア用と患者用の食器を混同すれば、経口感染の恐れがあるし、後者の問題からは、患者の健康を犯すということにもなってしまいます。
 善意をそのままで善行にしておくには、やはり、その場その場でのやり方であったり、知識というものが必要になります。
 そうしたことを教えてくれるのがオリエンテーションなのですが(もちろん、不十分なこともありますが)、最近では、まったく説明を受けず、自分で判断し、自分でよかれと思ってやったことが、結果的には悪くなっているということもあるのです。

 先ほどの例でも、日本であれば、バケツを使って洗うだろうという前提の下に立っています。
 しかし、インドのマザー・ハウスでは、飲み水を汲んで置くにもバケツを使っていたということであるにすぎないのです。

 今日、ざっとウェブページで見てみると、マザー・テレサの施設でのボランティアを語ったツアーが多数あり、値段も法外に高いように思ってしまうものがありました。

 「日本人は安全をお金で買うって言ってるけれど」

 それでも、そうしたツアーではなく、個人で来て、ボランティアはしてほしいのだ、とシスターは言っていました。



◇■今日の患者数■◇

 男:女=50:53

 何人かは点滴を外され、また何人かは新しく点滴を付けられていました。
 今日は午後から雨が降ったのですが、一昨日から昨日までは全く雨が降らず、気候的にはとても苦しい日が続いていました。
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# by kawahara-chiharu | 2004-08-27 21:28 | ■インド(2004年4月~8月)


インドから(2004年8月26日 その108)

 今日は、マザー・テレサの誕生日です。
 そして、月に一回のボランティア・プログラムがあります。
 朝の6時にマザー・ハウスに行って、そこからバスに乗って移動しました。
 今回の題目は「You are special」で、私は役を割り振られた劇をして、ミサに参加してきました。

 ただ、具合の悪い友だちがいたので、彼女を連れて帰るために、最後までは参加しませんでした。
 最近、気候の変化が激しく、風邪を引いたりしている人がとても多いのです。
 私はとても元気なのですが、強い日差しが再び照りつけるようになり、日焼けと、汗疹と、肌の乾燥に悩んでいます。
 みなさま、何かよい対策法があれば、教えてください。


■人口問題■

 インドでは、人口調整が、国家としての緊急課題とされています。
 インドでは、毎年2500万人の子どもが生まれ、すべてのカップルが2人までしか子どもを生まないとしても、10年以内に中国に追いついてしまうと見積もられています。

 外務省のホームページによれば(2002年度の世界人口白書に基づいています)、中国の約13億人に始まり、2位にインドが約10.4億人、3位が米国で約2.8億人、インドネシアが約2.2億人、ブラジルが約1.7億人、パキスタンが約1.5億人、ロシアが約1.4億人、バングラデシュが約1.4億人、そして、日本が9位で約1.3億人いるそうです。

 国連の機関のひとつである、国連人口基金においては、発展途上国は1994年の国際人口開発会議(ICPD)において合意した金額の8割を既に出しているのに対し、先進国はいまだに4割しか支払っていないそうです。
 途上国は、自国に課せられたお金を払っているのにもかかわらず、先進国は「一日分の軍事費より少し多い程度の金額」を出し、国際人口開発会議で設定された金額を満たすことはできないのです。

 インドは、英国植民地からの解放後、「半世紀を経たないうちに平均寿命を39歳から63歳に伸ばし」たため、人口が増えてばかりでも、減ることがないという環境にあります。
 我が家の大家さんも60歳を超えて、なお、健康です。
 もちろん、結核などの病気も蔓延しているので、若くして亡くなって行く人もいるけれど、カリガートでの主な患者さんは、老人です。

 そして、インドはまた、半世紀以内に「合計特殊出生率(1人の女子が一生の間に生むと推計される平均子供数)を6から3.1に減少させ」、都会の裕福な層では、子どもの数が減っているものの、依然として、農村やスラムでは兄弟の数が多いような家族を見かけます。

 しかしながら、インドにおける全「人口の4分の3が居住する農村では、全体の77%の貧困状態にある」そうで、数が減ったから、裕福になれるのか、といったら、そうではないようです。

 現在、インドでは国家が主導で人口政策を行っていて、それを推進していくための委員会なども設置されています。
 けれども、官僚主体のこの政策では、上から下になりがちな政策であったり、そういう対応が予想され、どこまで成果が上げられるのか、という疑問もあります。


◇■今日の患者数■◇

 今日は木曜日なので、ボランティアはお休みです。
 明日から残り4日間のボランティアに精を出したいと思います。


◇参考◇

◇外務省
 「世界いろいろ雑学ランキング」
 → http://www.mofa.go.jp/mofaj/world/ranking/jinko_o.html

◇国連人口基金東京事務所

 「プレスリリース:貧しい国の方が裕福な国よりも拠出金を支払っている現実」
 → http://www.unfpa.or.jp/news/press/040119.html

 「プレスリリース:カイロ合意での拠出額未達成が
  世界の貧困削減・開発目標の達成を妨げる、とUNFPAが警告」
 → http://www.unfpa.or.jp/news/press/040322b.html

◇「India Today」vol.33, Aug, 2004

◇National Comission on Populaion
 → http://www.populationcommission.nic.in/

◇独立行政法人・労働政策研究研修機構
 「海外労働情報・インド」
 → http://www.jil.go.jp/kaigaitopic/1999_12/indoP02.htm

◇NPO2050
 「インド人口10億人を突破」  
 → http://www.npo2050.net/population_bulletin/vol23/
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# by kawahara-chiharu | 2004-08-26 17:12 | ■インド(2004年4月~8月)


インドから(2004年8月25日 その107)

 今日は帰りのチケットを手に入れました。
 タイ・バンコクまでの片道ですが、ロイヤル・ブータン・エアラインを利用して、8月31日の午前8時15分にカルカッタを出ることになりました。
 インドルピーで、Rs.5900。
 日本円にしたら、1万5000円くらいでしょうか。
 同居人の話によれば、世界にはいくつか航空券を安く手に入れられる場所があり、タイのバンコク、トルコのイスタンブール、エジプトのカイロと並んで、インドのカルカッタが有名なのだそうです。

 インドに来るときは、往復で買って来ようかと思ったのですが、帰国日を自由に設定できるオープンチケットは90日までのものしか手ごろなものがなく、4ヵ月以上となると、片道の方が逆に安くなるようなものしか見つけられなかったため、結局、片道航空券で来てしまったのです。
 帰国する日が現実味を帯びてきて、残りの日々が充実したものとなりそうです。


■死を待つ人の家■

 カリガートは、日本語だと、「死を待つ人の家」と訳されています。
 英語だと、「Institution for sick and dying people」だったように思います。
 オリエンテーションの時には、「貧しく、瀕死の患者さんが100名くらいいる」と説明することになっているのですが、蓋を開けてみれば、瀕死の患者さんというよりも、むしろ、ゆっくりと、でも、確実に悪くなっていく老人が多い施設、と説明した方がよいように思う状態です。
 もちろん、死んでいく人も、何日かに一人はいますし、酷暑など、天候の厳しい時や、変化が激しい時には、割合、多くの人が亡くなっていきます。
 しかし、半数以上の人は退院して、自分の家である駅や道路に戻っていくし、そうでなくても、カリガートに残り、何ヵ月、何年もかけて亡くなっていきます。
 施設の名称から連想されるような「死」は、この施設のメインではなく、死を見据えての今、生が強調されているような錯覚を覚えます。

 死ぬことを、私はとても恐いと思っています。
 自分の番が来たら、果たして耐えられうるのだろうか、と思ってしまうほどです。
 けれども、仮に死がないとしたら、いったいどうなることだろうと、その仮定には答えが見出せないほど、現実感を持つことができません。
 人間、死があるから、生きていることに意味を持てるのだと、思うのです。
 もし、学校に卒業がなければ、学ぶことから真剣味が奪われないだろうか。
 それと同じように、もし不死身で、一生死ぬことができないとしたら、なんて密度の薄い人生になってしまうのだろう!と、いつかは終わるということで、救われるところがあるのではないかと思います。

 死を待っているのは、カリガートにいる彼らだけではなく、私たち、この世に命を持って生まれて来た人は、すべて共通のことと言えます。
 ただ、この施設では、その様子が少し目に見えやす形なのだということだけで、私たちは、みんな同じ状況にあるのです。

 彼らは、貧しく、かわいそうなのかもしれない。
 しかし、彼らのように死んでいくという人生もありなのだと思う、今日この頃です。


◇■今日の患者数■◇

 男:女=50:52

 顔なじみの患者さんが、退院していました。
 「妖怪」と呼んでいた、パールバディというおばあちゃんも、今日、カリガートに行ってみると、もういませんでした。
 一期一会。
 いつ別れるか、誰にもわからないものなのかもしれません。
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# by kawahara-chiharu | 2004-08-26 01:40 | ■インド(2004年4月~8月)


インドから(2004年8月24日 その106)

 昨晩、友人が台湾からやってきたので、空港まで迎えに行きました。
 来週には私も帰路に着くために、この空港に荷物を背負っているのかとおもうと、どうしても実感が湧かずに、これからもカルカッタにいるような気持ちになってしまいます。
 来週の水曜日の便で、バンコクに行きます。
 まだ、チケットは買っていないのですが、水曜日中にバンコクに着いて、しばらく観光して、それから韓国に飛行機で抜けて、フェリーで帰るつもりでいます。(予定)


■足から見る貧困■

 今日、カリガートで、久しぶりに患者さんの爪を切りました。
 手の爪も足の爪も、長くなっていて、その爪の間には、皮膚を掻いた垢がつまっているのか、はたまた便が詰まっているのか、黒くなっていました。
 ゴム手袋をはめて、パチリパチリと切っていると、ふとした瞬間に、体は痩せてがりがりなのにもかかわらず、足だけはむくんで、ぱんぱんに膨れていたり、ふくらはぎの骨と、足の甲の骨の結合の仕方が、あきらかにおかしい人が何人かいました。
 特に奇形や、むくみがないような人でも、その足は長年の垢だか、汚れかで、黒くくすみ、爪が1cmまではいかないものの、異様に厚くなっていたり、爪の間には、もうこすっても取れることはないのではないかというようななんだか黒いものが入っています。
 足の指と指の間には、垢がこびりついていて、こすれば、ぼろぼろと取れてしまうような状態です。

 スラムを通ると、必ず足にサンダルを履いていない子どもを何人か見つけます。
 それ以外の子どもは、だいたいは履きふるしたサンダルを履いていて、踵のあたりは薄く擦り減って、指の形や足の形がくっきりと付いています。
 革靴やスニーカーを履いているのは極まれで、地下鉄に乗らなければ、まず見ないと言っても過言ではないと思います。(地下鉄に乗るということは、都心への通勤を意味します。都心のオフィスに通っているということは、それだけ高給取りということでもあり、裕福だということになります)

 靴下を履いて、靴を履く。
 気候のせいもあるのでしょうが、日本では当たり前の景色が、ここでは、当たり前ではありません。
 そして、靴下を履いて、足を保護し、汚れから足を守るということは、足を汚さないでも済む、もしくは、足を清潔に保つに足る教育があるのだということではないかと思います。
 足だけを見ても、その人の収入や生活というものが垣間見えます。


◇■今日の患者数■◇

 男:女=50:52

 女性患者が先週に比べて、だいぶ増えました。
 病院に、何人か患者さんも行っています。
 「家に帰りたい?」と、もう随分と顔なじみになった人に聞くと、「家はないの。家はここなの。だから、帰らない」というようなことを言っていました。
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# by kawahara-chiharu | 2004-08-24 20:22 | ■インド(2004年4月~8月)


インドから(2004年8月23日 その105)

 昨日、あまり体調がよくなかったので、今日は大事をとって休んでいました。
 久しぶりにゆっくり一日を過すことができて、夏目漱石の『坑夫』を読みました。


■韓国の徴兵制■

 来週、カルカッタを出るということで、何人かの友人らが、一緒にごはんをと誘ってくれました。
 今日は、ウンという、韓国人の青年とご飯を食べてきました。

 彼は36歳で、カルカッタには3月からいます。
 あと1年か1年半ほど、カルカッタでボランティアをした後に、世界を旅行して、約2~3年後に韓国に帰るようです。
 何かの話から、ふとしたきっかけで、徴兵制の話になり、「徴兵は終わっているの?」と、私が尋ねると、「行っていないし、行かないよ」と、彼からの返事がありました。
 私は、はてな、と思いました。
 今まで出会った韓国人の青年で、軍隊に行っていないのは、病気の人を除いて、彼しか会ったことがなかったのです。
 100人いたら、100人が、それこそ軍隊に行くのだとばかり思っていました。

 韓国はご存知のように、南の韓国と北の朝鮮民主主義人民共和国に分かれています。
 先の朝鮮戦争は休戦の状態にあるので、いつ戦争が起きるか分からない危険な状態に依然あります。
 というわけで、徴兵制は国民男子の義務になっているのです。
 期間は2年2ヶ月で、24ヶ月もの間かかります。
 私が知っていたのは、ここまでで、軍役につかないのは、心身が健康でないものだけなのかと思いきやそうではないようなのです。

 ウンの話によれば、韓国男子が100人いれば、徴兵制によって徴用されるのは60%くらいなのだそうです。
 もし、自分の親が60歳を超えていて、家計を助けなければならない時や、心身に障害を持ったもの、もしくはアレルギー患者、中等教育を終えていないものは、軍に入らないでもよいそうです。
 全体男子の20~30%は、このいずれかのために、郊外にある軍の施設ではなく、自分の家で寝起きし、家から街にあるオフィスに通って、書類を書いたりだとか、デスクワークをするのだそうです。
 通常、軍の施設で寝起きするのだそうですが、軍の施設は都心にはなく、郊外のために、こういった措置を取るようです。
 そして、残りの10%は、そういったことを全くしないのだそうです。

 「 軍に入った前と後とでは、性格が変わってしまう。
   軍隊に入らなかったかわりに、僕は性格を変えないで済んだのだ 」

 軍に入ることで、男の人としての健康さや異常のないことを示すことができ、軍に入っていないと、世間からは異常があるように思われてしまう。
 女性も、軍に入っていない人よりは、軍に入っていた人を求めるらしい。
 そういうようなことを、2年半前に韓国に行った時に聞いたことがある。
 「軍での生活はよくない」と、今まで会った友人たちは言っていたけれど、軍での生活やそこでの経験を正当化するために、なんらかの理由が必要とされているのかもしれないと、話を聞きながら、思ってしまいました。


◇■今日の患者数■◇

 今日はボランティアを休みました。
 また明日から、ボランティアに行ってきます。


◇参考◇

◇ビョン・ジョン・ウォン・ウェブ・サイト
「韓国の徴兵制」
→ http://www1.dnet.gr.jp/~jeongwon/culture11.html
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# by kawahara-chiharu | 2004-08-24 00:31 | ■インド(2004年4月~8月)

    

日々のあれこれを、ニュースから身の周りのことまでを綴るブログ(大半はインドでの滞在記)
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